①「寿司バーガー」という単語を見て、私は一度ブラウザを閉じた
「寿司バーガー」という言葉を初めて見たとき、正直なところ私はこう思った。
ああ、またインターネットの悪ふざけだろう、と。
寿司。
バーガー。
どちらも単体で完成している食べ物であり、
あえて融合させる理由が1ミリも見当たらない。
にもかかわらず、である。
気づいたら私はその単語をGoogleに打ち込み、
画像検索の結果を見て、静かにこう呟いていた。
「……冗談じゃなかった」
そこに並んでいたのは、
バンズの代わりに固められた白米、
その間に挟まるサーモンやらエビフライやら、
そして遠慮という概念を置き忘れてきたソース類。
寿司なのか。
バーガーなのか。
それとも概念実験なのか。
少なくとも一つだけはっきりしている。
これは、私の知っている日本食ではない。
② そもそも寿司バーガーって何なんだよ
改めて整理してみよう。
寿司バーガーとは何なのか。
どうやら一般的には、
パンの代わりにご飯を使い、具材を挟んだものらしい。
ここまではまだいい。
日本にもライスバーガーという前例がある。
問題はその先だ。
中に挟まるのは、
サーモン、マグロ、エビフライ、時には照り焼きチキン。
そこにレタスやアボカドが加わり、
仕上げとして甘辛いソースやマヨネーズがこれでもかとかけられる。
……いや、それ、寿司か?
寿司という料理は本来、
酢飯と具材のバランス、
食べやすさ、
そして「一口で完結する」ことに美学がある。
だが寿司バーガーは違う。
高さがある。
崩れる。
持ちにくい。
そして何より、一口で終わらない。
もはやそれは寿司でもバーガーでもなく、
「寿司っぽい何かをバーガーの形にした別の料理」
という、新ジャンルの誕生である。
さらに厄介なのは、
これが「Japanese Food」として紹介されている点だ。
寿司という言葉の持つブランド力と、
バーガーという分かりやすさを合体させた結果、
概念だけが一人歩きしている。
なるほど、理解はできる。
理屈は通っている。
だが納得はできない。
③ 日本も他国料理を魔改造してきた歴史がある
ここまで寿司バーガーに対して好き放題言ってきたが、
先に白状しておかなければならないことがある。
日本も、他国料理の魔改造については人のことを言えない。
代表例は言うまでもないだろう。
そう、ナポリタンである。
トマトソースでもなければ、
当然ナポリの伝統料理でもない。
ケチャップ、ウインナー、ピーマン、玉ねぎ。
戦後日本の喫茶店文化が生み出した、
れっきとした日本料理だ。
他にも枚挙にいとまがない。
天津飯。
中国に行っても基本的に出てこない。
冷やし中華。
名前の割に、日本でしか見かけない。
カルボナーラ。
本場を名乗るには、生クリームがあまりにも元気すぎる。
どれも原型は海外にある。
だが最終形態は、日本の台所事情と味覚によって
しっかり作り替えられている。
重要なのは、日本人がこれらを
「本場の味です」とは言っていない点だ。
ナポリタンは洋食。
天津飯は中華“風”。
冷やし中華は……まあ、日本の夏の風物詩である。
つまり日本は、
翻訳した時点で別物だと自覚している魔改造をやってきた。
だからこそ、寿司バーガーを見て
「それは違うだろ」と思ってしまうのも、
実は同族嫌悪に近い感情なのかもしれない。
④ だが日本の魔改造は「生活に馴染ませる」方向だった
日本の他国料理魔改造には、
一応ではあるが、ちゃんとした理由がある。
それは単純だ。
日常に持ち込むためである。
ナポリタンが生まれた背景には、
トマト缶もオリーブオイルも気軽に手に入らなかった時代事情がある。
だからケチャップを使った。
ウインナーを入れた。
喫茶店で、誰でも食べられる味にした。
天津飯も同じだ。
本場の料理をそのまま再現するより、
ご飯に合う、分かりやすい味に寄せた結果、
卵とあんかけという形に落ち着いた。
冷やし中華に至っては、
暑い日本の夏を乗り切るための最適解だ。
酸味があって、冷たくて、食べやすい。
中国かどうかは、もはや重要ではない。
ここで共通しているのは、
毎日でも食べられるかどうかという視点である。
派手さはない。
映えもしない。
だが、生活には確実に溶け込んだ。
日本の魔改造は、
引き算と最適化の文化だ。
余計なものを削り、
手に入る材料に置き換え、
家庭や大衆食堂に下ろしていく。
だからナポリタンは、
イタリア料理ではないのに、
日本人の記憶の中にきっちり居場所を持っている。
この「生活に馴染ませる」という姿勢が、
次に見るアメリカの魔改造との決定的な違いになる。
⑤ なんでもかんでも油で揚げればいいってもんじゃねぇんだよ(なお日本)
寿司バーガーを見ていて、
もう一つ強く感じたことがある。
とりあえず油で揚げれば解決すると思ってないか?
寿司を揚げる。
ロール寿司を丸ごと揚げる。
衣を付けて、カリッとさせて、ソースをかける。
いや、落ち着け。
なんでもかんでも油で揚げればいいってもんじゃねぇんだよ。
……なお日本。
冷静に考えると、日本にも揚げ物は山ほどある。
天ぷら、唐揚げ、フライ、コロッケ、揚げパン。
最終的に「揚げればだいたいうまい」という結論に到達している点では、
アメリカと大差ない。
ただし、決定的な違いが一つある。
日本の揚げ物は、
揚げたあとに引き算をする。
天ぷらは素材を主役にするために、衣は薄い。
唐揚げは下味をつけるが、ソースを前提にしない。
フライも、基本は単体で成立している。
一方で、アメリカ寿司は違う。
揚げる。
味が強くなる。
さらにソースを足す。
まだ弱い気がするのでチーズを乗せる。
結果、
何を食べているのか分からなくなる。
寿司だったはずのものは、
油とソースとチーズの土台へと変貌し、
そこに「SUSHI」という名前だけが残る。
理解はできる。
揚げ物は正義だ。
それは日本もよく知っている。
だが寿司に関しては、
もう少しだけ、
酢飯と魚のことを思い出してほしい。
⑥ アメリカの魔改造は「とりあえず足す」から止まらない
ここまで見てきて分かる通り、
アメリカの日本食魔改造には、はっきりした方向性がある。
引かない。とにかく足す。
味が分かりにくい?
→ 濃くする。
量が少ない?
→ デカくする。
見た目が地味?
→ 揚げる。
それでもまだ不安?
→ チーズを乗せる。
この判断を一切ためらわない。
寿司バーガーに限らず、
フライ寿司、寿司ブリトー、寿司ロール各種を見ていると、
「寿司として成立しているか」はもはや問題ではない。
重要なのは、
一口目で分かるかどうか
写真で強いかどうか
満足感が即座に来るかどうか
この三点だ。
だから、
酢飯のほのかな酸味や、
魚の繊細な味は後回しになる。
代わりに前に出てくるのは、
甘辛いソース、
スモーク感、
油のコク、
そしてチーズの存在感。
結果として、
「寿司を食べている」という感覚は消え、
「寿司という名前の何かを食べている」という体験が残る。
これは料理の優劣の話ではない。
思想の違いだ。
日本が
「どう生活に馴染ませるか」を考える文化だとすれば、
アメリカは
「どう分かりやすく、どう強く印象に残すか」を優先する。
その結果生まれたのが、
寿司バーガーという
足し算の終着点なのである。
⑦ 寿司ブリトー、フライ寿司、寿司バーガー──寿司の進化系統樹が狂っている
寿司バーガーだけでも十分に情報量が多いのだが、
実はこれは氷山の一角にすぎない。
視野を広げると、
寿司はすでに別の進化ルートに突入している。
寿司ブリトー。
寿司をトルティーヤ感覚で巻き、
手で持って食べることを前提にした寿司。
フライ寿司。
ロール寿司を丸ごと揚げ、
外はカリカリ、中はもはや原型不明。
巨大ロール寿司。
一口で食べるという寿司の前提を完全に無視し、
「切る前提」「分ける前提」で成立する寿司。
ここまで来ると、
寿司は料理名ではなく、コンセプトだ。
酢飯と魚という構造は残っている。
だがそれは、
「SUSHI」という看板を掲げるための最低条件に過ぎない。
もはや寿司は、
「Japanese」というジャンルに分類される
味の方向性タグのような扱いになっている。
この進化は、
良いとか悪いとかではない。
ただ一つ言えるのは、
日本で分岐した寿司の系統樹とは、完全に別物になった
という事実だ。
日本の寿司が
洗練と引き算の方向へ進化したとすれば、
アメリカの寿司は
拡張と融合の方向へ進化した。
結果、同じ「寿司」という名前を持ちながら、
もはや互いに交配不可能な別種になってしまったのである。
⑧ 理解はできる。だが、やりすぎだ
ここまで散々ツッコミを入れてきたが、
一つだけはっきり言っておきたい。
アメリカの寿司魔改造は、
決して「寿司を馬鹿にしている」わけではない。
むしろ逆だ。
寿司という料理が持つ知名度、
日本食というブランド、
そして「健康そう」「クールそう」というイメージ。
それらを最大限に活用しようとした結果が、
寿司バーガーであり、フライ寿司であり、寿司ブリトーなのだ。
エンタメとしては成功している。
写真映えもする。
分かりやすい。
売れる理由も理解できる。
ここまでは、理解できる。
だが、やりすぎだ。
寿司は、
一口で完結するから寿司なのであり、
魚と酢飯の距離感に意味がある料理だ。
それを、
デカくして、
揚げて、
チーズを乗せて、
ソースをかけて、
「SUSHI」と呼ぶのは、
もはや別ジャンルである。
文化の違いとして面白い。
だが日本人の感覚からすると、
どうしてもこう言いたくなってしまう。
寿司でやる必要、あった?
⑨ ここまで言っておいてあれだが、昼はナポリタンだった
ここまで、
アメリカ寿司はやりすぎだ、
日本は引き算の文化だ、
などと偉そうに語ってきた。
だが最後に、
正直に告白しなければならない。
今日の昼ごはんは、ナポリタンだった。
ケチャップ味のパスタを食べながら、
寿司バーガーにツッコミを入れていたのである。
考えてみれば、
これほど説得力のない締めもない。
他国料理を魔改造し、
それを文化として定着させてきた日本人が、
別の国の魔改造料理を見て
「やりすぎだ」と言っている。
完全にダブルスタンダードだ。
だが、
この矛盾ごと含めて、
食文化というものなのだと思う。
翻訳しすぎる国もあれば、
脚色しすぎる国もある。
そのどちらも、人間らしい。
ナポリタンを食べる日本人が言うのもアレだが、
やはり言わせてほしい。
アメリカ寿司は、やりすぎである。









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