narita-lab’s blog

成田ラボ 〜テクノロジーと雑学の観察日記〜

モニターイヤホンとリファレンスイヤホンは別物だ ― SHURE AONIC 215が「普通の音」である理由

最近、SHURE AONIC 215のレビューや動画を見ていると、やたらと評価が高いことに気が付く。

「モニターイヤホンとして最高」
「これがプロの音」
「解像度が段違い」

 

……そんな言葉が並んでいる。

 

ただ、実際に聴いてみるとどうだろうか。

 

正直に言うと、音は「普通」だ。
極上でもなければ、感動するような派手さもない。

 

でも、それはこのイヤホンがダメだからではない。
むしろ逆で、この“普通さ”こそが正しい。

 

ここで一つ、よく混同されている話をしておきたい。

 

モニターイヤホンとリファレンスイヤホンは、そもそも役割が違う。

 

そしてこの違いを理解しないまま評価すると、
「なぜか評価がズレるイヤホン」が生まれる。

 

SHURE AONIC 215は、まさにその典型だと思っている。

 

■ モニターイヤホンは「普通」であるべき

まず前提として、モニターイヤホンに求められるのは“気持ちよさ”ではない。

 

あくまで目的は、音を「正確に把握すること」だ。

 

例えば、ボーカルが前に出過ぎていないか。
低音が膨らみすぎていないか。
細かいノイズや粗が残っていないか。

 

そういった“音の状態”を確認するための道具が、モニターイヤホンである。

 

だからこそ、音を盛ることはしない。

 

低音を強調して迫力を出すこともなければ、
高音を持ち上げて解像度が高く聴こえるように演出することもない。

 

すべては、そのまま。ありのままに出す。

 

結果として、どうなるか。

 

音は「普通」に聴こえる。

 

これは決して褒め言葉ではないように聞こえるかもしれないが、
モニターイヤホンにとっては、むしろ最高の評価だ。

 

“普通に聴こえる”ということは、余計な味付けがされていないということ。

 

それはつまり、音の判断を誤らないための設計であり、
道具としては極めて正しい在り方だと言える。

 

■ なぜ“普通=つまらない”と感じるのか

ではなぜ、この“普通さ”がつまらなく感じるのか。

 

理由はシンプルで、普段聴いているイヤホンが“普通ではない”からだ。

 

一般的に販売されているイヤホンの多くは、いわゆるリスニング向けにチューニングされている。

 

低音は少し強めにして迫力を出し、
高音はやや持ち上げて抜けの良さや解像感を演出する。

 

いわゆる「ドンシャリ」と呼ばれるような味付けも、その一種だ。

 

こうしたチューニングは、音楽を気持ちよく聴くための工夫であり、
決して悪いものではない。むしろ多くの人にとっては正解だろう。

 

ただし、その状態に耳が慣れていると話が変わってくる。

 

味付けされた音に慣れた状態で、モニターイヤホンの“何も足さない音”を聴くと、
どうしても地味に感じてしまう。

 

派手さがない。刺激が少ない。
言い換えれば、“面白みがない”と感じる。

 

だが、それはイヤホンの性能が低いからではない。

 

単に、評価の基準が違っているだけだ。

 

モニターイヤホンは、楽しませるための音ではなく、
あくまで“確認するための音”を出している。

 

だからこそ、リスニング用途で評価するとズレが生まれる。

 

このズレこそが、「普通なのに評価が高い」という違和感の正体だ。

 

■ モニターイヤホンとリファレンスイヤホンは違う

ここまでの話を踏まえると、一つの疑問が出てくる。

 

では、音の“基準”になるイヤホンとは何なのか。

 

モニターイヤホンが基準ではないのか、と。

 

結論から言うと、それは少し違う。

 

モニターイヤホンとリファレンスイヤホンは、似ているようで役割がまったく異なる。

 

 

まず、モニターイヤホン。

これはあくまで「音を確認するための道具」だ。

録音やミックスの現場で、
音のバランスや粗をチェックするために使われる。

言ってしまえば、“作り手側の視点”のイヤホンだ。

余計な味付けをせず、
良い部分も悪い部分もそのまま出す。

だからこそ、「普通」に聴こえる。

 

 

一方で、リファレンスイヤホンは違う。

こちらは「世の中でどう聴こえるか」を確認するための基準だ。

つまり、“聴き手側の視点”のイヤホンになる。

どれだけモニター環境で完璧に仕上げたとしても、
実際に多くの人が使う環境で破綻してしまえば意味がない。

だからこそ、「一般的な再生環境でどう聴こえるか」を確認する必要がある。

 

 

この2つは似ているようでいて、向いている方向が真逆だ。

モニターイヤホンは、音を“内側から”見るためのもの。
リファレンスイヤホンは、音を“外側から”見るためのもの。

 

そしてここを混同すると、

「モニターイヤホンなのに感動しない」
「普通すぎてつまらない」

といった評価のズレが生まれる。

 

■ 「AirPodsが標準」という現実

では、その“リファレンス”は何になるのか。

 

ここで少し現実的な話をすると、
今の音楽リスナーの多くは、スマートフォンとワイヤレスイヤホンで音楽を聴いている。

 

その中でも特に普及しているのが、
AirPodsをはじめとしたワイヤレスイヤホンだ。

 

つまり、現代において最も多くの人が音楽を聴いている環境は、
スタジオ機材でもなければ、有線の高級イヤホンでもない。

 

AirPodsのような「手軽に使えるイヤホン」だ。

 

この事実は、作り手側にとって無視できない。

どれだけモニター環境で完璧に仕上げた音でも、
AirPodsで聴いたときにバランスが崩れてしまえば、それは“完成”とは言えない。

だからこそ、

「AirPodsで聴いて破綻しないか」

という視点が、実際の制作現場でも重要になっている。

 

ここで重要なのは、
リファレンスが必ずしも“高音質な機材”である必要はない、ということだ。

むしろ逆で、

多くの人が使っている環境こそが、最も現実的な基準になる。

 

ハイエンドな機材でどれだけ綺麗に鳴っても、
一般的な再生環境で違和感が出てしまえば意味がない。

音楽は“誰かに聴かれて初めて成立するもの”だからだ。

 

■ 成田ラボの基準音について

自分の中でのリファレンスは、水月雨の蘭2 REFを使っている。

 

naritalabsblog.com

 

 

いわゆるモニター用途とは少し違い、
「自分にとっての基準の音」として扱っているイヤホンだ。

 

このイヤホンで聴いたときに、
低音が出過ぎていないか。


ボーカルが引っ込みすぎていないか。


高音が刺さらないか。

 

そういった“ズレ”を判断するための軸になっている。

 

ただし、それだけでは片手落ちだとも思っている。

 

どれだけ自分の基準で問題がなくても、
実際のリスナー環境で違和感が出てしまえば意味がない。

 

 

そこで、もう一つの基準として使っているのが、
AirPods Pro (2nd generation)だ。

 

naritalabsblog.com

 

 

普段使いという意味合いもあるが、
それ以上に「現実の再生環境」としての確認用途が大きい。

 

このイヤホンで聴いたときに違和感がないか。


音が崩れていないか。


バランスがおかしくなっていないか。

 

そういった視点でもチェックするようにしている。

 

言い換えれば、

蘭2は“理想の基準”。
AirPodsは“現実の基準”。

 

 

リファレンスというのは、スペックや価格で決まるものではない。

自分の中で「ここを基準にする」と決めた音があるかどうか。

それがすべてだと思っている。

 

■ SHURE AONIC 215の評価を整理する

ここまでの話を踏まえると、
SHURE AONIC 215の評価も見え方が変わってくる。

 

このイヤホンの音は「普通」だ。

 

派手さはないし、感動するようなチューニングでもない。
いわゆる“楽しい音”を求めると、物足りなさを感じる人も多いだろう。

 

だが、それは欠点ではない。

むしろ、モニターイヤホンとして見れば極めて正しい。

余計な味付けをせず、
音をそのまま出す。

だからこそ、「普通」に聴こえる。

 

問題は、このイヤホンを“どの基準で評価するか”だ。

リスニング用途のイヤホンと同じ軸で評価すれば、
「つまらない」「地味」と感じるのは当然だろう。

しかし、モニターイヤホンとして見れば話は別だ。

“普通に聴こえる”ということ自体が、性能の証明になる。

 

つまり、

SHURE AONIC 215は「特別に良いイヤホン」ではない。
同時に、「ダメなイヤホン」でもない。

ただ、役割通りに正しく作られたイヤホンだ。

 

■ 結論

モニターイヤホンとリファレンスイヤホンは、似ているようでまったく別物だ。

 

モニターは音を“確認するため”の道具。


リファレンスは音を“現実でどう聴こえるか”を確かめる基準。

 

この違いを理解しないまま評価すると、
イヤホンの良し悪しは簡単にズレる。

 

SHURE AONIC 215は、確かに「普通の音」だ。

だがその“普通さ”は、欠点ではない。
役割通りに設計された、正しい音だ。

 

重要なのは、その「普通」をどう使うかだと思っている。

楽しむための音なのか。
確認するための音なのか。
それとも、現実の基準としての音なのか。

 

イヤホンの価値は、スペックや価格では決まらない。

どの基準で、どう使うか。

それがすべてだ。

格安タブレットは“信用しすぎるな”という話

最近、格安タブレットにウイルスが仕込まれていた、というニュースを見かけた。

 

正直、「またこの手の話か」と思いつつも、

気になったので手元にあるAlldocubeのタブレットを一通りチェックしてみた。


結果としては、少なくとも明確なウイルスは検出されなかった。

 

じゃあ安心かと言われると──それも違う気がしている。

 

ウイルスが検出されなかったからといって、安全だと言い切れるわけではない。


むしろ今回の件で感じたのは、「危険かどうか」よりも、「どこまで信用していいのかが分からない」という曖昧さだった。

 

格安タブレットは本当に危険なのか。


それとも、ただ扱い方を間違えているだけなのか。

 

この記事では、格安タブレットという存在を頭ごなしに否定するのではなく、
**「どこまで信用して、どこから線を引くべきなのか」**という視点で整理していく。

 

■ 格安タブレットは本当に危険なのか

結論から言えば、格安タブレットがすべて危険というわけではない。

 

実際、普通に使えている端末も多いし、動画視聴やブラウジング程度であれば問題なくこなせるモデルも珍しくない。


価格を考えれば、ハードウェアとしてのコストパフォーマンスはむしろ優秀な部類だと思う。

 

ただし、そこに一つ問題がある。

 

それが「当たり外れの大きさ」だ。

 

同じような価格帯、同じようなスペック表記でも、実際の品質や挙動にはかなりの差がある。


問題なく使える個体もあれば、初期状態から不安定だったり、不審な挙動を見せるものも存在する。

 

ここが、大手メーカーの端末との決定的な違いだ。

 

例えば、一定の品質管理やソフトウェアサポートが保証されている製品であれば、

「最低限ここまでは大丈夫だろう」というラインがある程度見える。


しかし格安タブレットの場合、その“最低ライン”が見えにくい。

 

だからこそ、「危険か安全か」という二択ではなく、
“どの程度リスクを許容するか”という考え方が必要になる。

 

■ 問題の本質は“ウイルス”ではない

今回のような話を見ていると、

格安タブレット=ウイルスが入っているのではないか」と考えがちだ。


しかし、実際の問題はそこだけではない。

 

むしろ厄介なのは、“ウイルスとまでは言い切れないグレーな存在”だ。

 

例えば、最初からインストールされているアプリの中には、

  • 不要に多くの権限を要求するもの
  • バックグラウンドで通信を行うもの
  • 広告表示やトラッキングを行うもの

といった、挙動としては不審でも「マルウェア」とまでは判断されないものが含まれていることがある。

 

これらはセキュリティソフトでスキャンしても検出されないケースが多く、
ユーザー側から見ると“正常に見えてしまう”のが厄介なポイントだ。

 

つまり、

「ウイルスが検出されなかった=安全」ではない。

 

問題は、明確に危険と断定できるものではなく、
「どこまで許容していいのか分からない領域」にある。

 

だからこそ、格安タブレットのリスクは見えにくい。
そして、その見えにくさこそが一番の問題だと感じている。

 

■ 見えないリスク①:プリインストールと挙動の問題

格安タブレットにおけるリスクは、目に見える形で現れるとは限らない。
むしろ問題になるのは、「気付かないまま使えてしまう」タイプの挙動だ。

 

代表的なのが、プリインストールされているアプリの存在である。

 

一見するとただの標準アプリのように見えるが、中には、

  • やたらと多くの権限を要求する
  • 使用していないのにバックグラウンド通信を行う
  • 削除や無効化ができない

といったものが含まれていることがある。

 

例えば、使っていないはずのアプリが通信を続けていたり、
特に理由もなくバッテリー消費が増えていたりする場合、
こうしたプリインストールアプリが影響している可能性も考えられる。

 

厄介なのは、これらの挙動が“異常と断定しづらい”点だ。

 

明確に端末を破壊するわけでもなければ、
警告が出るわけでもない。


それでも、確実に裏で何かが動いている。

 

そして、その“何か”をユーザー側が完全に把握するのは難しい。

 

だからこそ、格安タブレットにおいては
「問題が起きていないから大丈夫」とは言い切れない。

 

見えていない部分にこそ、注意を払う必要がある。

 

■ 見えないリスク②:スペックの偽装問題

格安タブレットのリスクは、ソフトウェアだけに限らない。


場合によっては、ハードウェアの“見え方”そのものが信用できないケースもある。

 

その代表例が、ストレージ容量の偽装だ。

 

実際の容量は32GB64GBしかないにもかかわらず、
設定上は128GB256GBと表示されるように細工されている、

という事例が報告されている。

 

これは単なる表示ミスではなく、

ファームウェアレベルで容量を水増しして見せている状態だ。

 

当然ながら、物理的に存在しない領域にデータを書き込めるわけではない。

 

そのため、一定以上のデータを書き込むと、

  • ファイルが破損する
  • データが上書きされる
  • 読み出せなくなる

といった問題が発生する。

 

しかも厄介なことに、この手の問題は通常のセキュリティチェックでは検出されない。


見た目上は正常に動作しているように見えるため、

気付くのは「壊れてから」になることが多い。

 

つまり、

“スペック表記そのものが信用できない可能性がある”

ということだ。

 

もちろん、すべての格安タブレットがこうした問題を抱えているわけではない。


しかし、少なくとも「そういう事例が存在する」という時点で、
スペックをそのまま鵜呑みにするのは危険だと感じている。

 

■ なぜこういう問題が起きるのか

ここまで見てきたような問題は、

単純に「中華製だから危険」といった話ではない。


もう少し構造的な理由がある。

 

まず大きいのが、価格の問題だ。

 

格安タブレットは、その名の通り価格の安さが最大の売りになっている。


しかし当然ながら、

ハードウェアの製造コストや流通コストがゼロになるわけではない。

 

どこかで利益を確保する必要がある。

 

その結果として、

  • 広告やトラッキングによる収益化
  • プリインストールアプリのバンドル
  • ソフトウェア部分のコスト削減

といった形で“見えにくい部分”にしわ寄せが来ることがある。

 

さらにややこしいのが、OEMや流通の問題だ。

 

格安タブレットの多くは、製造元・ブランド・販売元が必ずしも一致していない。


同じような筐体の製品が、別のブランド名で販売されていることも珍しくない。

 

この構造の中では、

  • 誰がどこまで品質管理をしているのか
  • 問題が起きたときにどこが責任を持つのか

が非常に曖昧になりやすい。

 

つまり、個々のメーカーを単純に責めるというよりも、
**“そういう構造の中で作られている製品である”**と理解した方が実態に近い。

 

だからこそ、重要なのは「危険かどうか」を議論することではなく、
その前提を理解した上で、どう付き合うかを考えることだと思う。

 

■ Alldocubeを使って感じた“現実ライン”

ここまでいろいろ書いてきたが、

実際に手元で使っている端末はどうなのか、という話もしておきたい。

 

自分はAlldocubeのタブレットを一台使っているが、

少なくとも現時点では大きな問題は確認されていない。


ウイルススキャンでも特に検出はなく、

普段使いの範囲では不審な挙動も感じていない。

 

そういう意味では、格安メーカーの中では比較的安心して使える部類だと感じている。

 

ただし、ここで一つ前提がある。

 

これはあくまで「自分が使っている個体の話」でしかない、ということだ。

 

同じモデルであっても個体差がある可能性は否定できないし、
他のメーカーや他の製品まで含めて「大丈夫」と言い切れるものでもない。

 

正直なところ、すべての格安タブレットを一台一台検証するほどの体力はない。


そして、それをやる気もない。

 

だからこそ、自分の中ではこういう結論に落ち着いている。

 

「Alldocubeはマシ。でも全部は信用しない」

 

このスタンスであれば、過度に警戒しすぎることもなければ、
逆に無防備になることもない。

 

格安タブレットとの距離感としては、これくらいがちょうどいいと思っている。

 

■ 信用していい部分と、してはいけない部分

ここまでの話を踏まえて、自分なりに「どこまで信用していいのか」を整理してみる。

 

まず前提として、格安タブレットはすべてが信用できないわけではない。
むしろ、用途によっては十分に価値のあるデバイスだと思っている。

 

ただし、その“信用の範囲”を見誤ると一気にリスクが高まる。

■ 信用していい部分

  • ハードウェアとしての性能(価格比)
  • 動画視聴やブラウジングなどの基本用途
  • サブ機としての使い勝手

このあたりに関しては、格安タブレットでも十分実用的だ。
コストを考えれば、むしろ優秀と感じることも多い。

■ 信用しすぎてはいけない部分

  • セキュリティ全般
  • プリインストールアプリの挙動
  • スペック表記(特にストレージ容量)
  • OSアップデートや長期サポート

この領域に関しては、「問題がないように見える」だけで判断するのは危険だ。

 

特にセキュリティやプリインアプリに関しては、
異常があってもユーザー側からは気付きにくいケースが多い。

 

また、スペックについても、表示されている情報をそのまま信じるのではなく、
“そうでない可能性もある”という前提で見ておく必要がある。

 

重要なのは、「信用するか、しないか」ではなく、
“どこまで信用するか”を自分で決めることだ。

 

格安タブレットは、使い方次第で非常に便利なツールになる。


しかし同時に、その使い方を誤るとリスクにもなり得る。

 

だからこそ、あらかじめ線引きをしておくことが重要だと思っている。

 

■ 成田ラボ的“信用の線引き”

ここまで整理してきた内容を踏まえて、自分なりの「線引き」をまとめておく。

 

結論から言えば、格安タブレットは
**“信用するもの”ではなく、“前提を理解して使うもの”**だと思っている。

 

その上で、自分は以下のような使い方をしている。

 

■ メイン端末にはしない

まず大前提として、日常的に使うメイン端末にはしない。
個人情報や各種アカウントが集約される環境に置くには、リスクが読みにくすぎる。

あくまでサブ機として扱う、という位置付けだ。

 

■ 個人情報は極力入れない

ログイン情報や連絡先、写真など、
流出した場合に困るデータは極力入れないようにしている。

どうしても必要な場合でも、限定的な範囲に留める。

 

■ 決済系は使わない

これも重要な線引きの一つだ。

クレジットカード情報や電子決済など、
金銭に直結する機能は基本的に使わない。

利便性よりもリスクの方が大きいと判断している。

 

■ 用途を限定する

用途は明確に絞る。

  • 動画視聴
  • 軽いブラウジング
  • サブ用途のアプリ

この範囲であれば、格安タブレットのコストパフォーマンスは非常に高い。

逆に、それ以上の用途を求めるのであれば、
最初から別の選択肢を検討した方がいい。

 

ここまでやっておけば、
格安タブレットの“リスク”はある程度コントロールできる。

 

完全に安全にすることはできない。
しかし、無防備に使うのと、意識して線引きをするのとでは大きな差がある。

 

だからこそ重要なのは、

「性能」ではなく、「距離感」だ。

 

どれだけ優秀に見える端末でも、
その距離感を間違えればリスクになる。

 

逆に言えば、距離感さえ間違えなければ、
格安タブレットは十分に“使える道具”になる。

 

■ リスクを下げる選択肢としての「中古」という考え方

ここまでリスクの話をしてきたが、ではどうやってそれを下げるか。

 

一つの現実的な選択肢として、「中古で購入する」という考え方がある。

 

格安タブレットを新品で購入する場合、特に海外通販や並行輸入になると、
何か問題があったときに基本的には自己責任になる。

 

初期不良であっても対応が難しかったり、
そもそもどこに問い合わせればいいのか分からない、というケースも珍しくない。

 

その点、国内の中古販売店を利用すれば、

  • 初期不良に対する保証がある
  • 動作確認が行われている
  • 何かあったときに相談できる窓口がある

といった“逃げ道”が用意されている。

 

もちろん、中古だからといってすべてが安全になるわけではない。

 

セキュリティの問題やプリインストールアプリの挙動といった部分までは、
基本的に保証の対象外になることが多い。

 

それでも、完全に自己責任で購入するよりは、
リスクの一部を外に分散できるという意味で価値はある。

 

格安タブレットを選ぶのであれば、
新品か中古かという選択も含めて、リスクとのバランスを考える必要があると思っている。

 

■ 結論

格安タブレットは、決して「危険なデバイス」ではない。

 

実際、用途を限定すればコストパフォーマンスは高く、
十分に使える道具になる。

 

ただし、それはあくまで“前提を理解した上での話”だ。

 

セキュリティ、プリインストールアプリ、スペック表記。


見えにくいリスクはいくつも存在している。

 

だからこそ重要なのは、

「信用するかどうか」ではなく、「どこまで信用するか」を決めることだ。

 

すべてを信じる必要はない。


かといって、すべてを疑って使わないのも違う。

 

線を引く。

その上で使う。

 

それさえできれば、格安タブレットは
“安かろう悪かろう”ではなく、
“安くてちょうどいい道具”になる。

禁煙外来に行くことにした話(第9弾)

ガラムの匂いと、少しだけ懐かしい話

禁煙してしばらく経った。

タバコを吸いたいと思うことは、
もうほとんど無い。

ただ、ひとつだけ残っているものがある。

匂いの記憶だ。

ガラムの空き缶

手元に、ガラムの空き缶が残っている。

昔吸っていたものだ。

何となく捨てずに取っておいたのだが、
久しぶりに開けてみると、
中からあの独特の香りがした。

甘くて、少しスパイシーな匂い。

いわゆるタバコ臭さとは違う、
ガラム特有の香りだ。

懐かしい、だけ

その匂いを嗅いだとき、
「ああ、懐かしいな」と思った。

ただ、それだけだった。

吸いたいとは思わない。

戻りたいとも思わない。

ただ単純に、
過去の記憶として残っている匂い、
そんな感じだ。

少し前の自分

少し前までは、
その匂いの中にいた。

当たり前のように吸って、
当たり前のように生活の一部になっていた。

今振り返ると、
よくあれを続けていたなと思う。

正直なところ、
少しアホだったなとも思う。

今の自分

今はもう、
タバコを吸わない生活が普通になっている。

コンビニに行く回数も減ったし、
タバコのことを思い出すことも少なくなった。

それでも、
こうして匂いだけは残っている。

結論

タバコはもう必要ない。

ただ、
ガラムの匂いは少しだけ懐かしい。

それくらいの距離感が、
今の自分にはちょうどいい。

DeathAdder V2 X HyperSpeed を買った ― 無線になっても“あの感触”は失われなかった ―

はじめに

Huntsmanは手に合わず、早々に手放した。
一方で、DeathAdder Essentialは手放せなかった。

そして気づけば、有線から無線へ。
次に選んだのは DeathAdder V2 X HyperSpeed だった。

白モデルがない問題は依然として残っている。
それでも「この形を無線で使いたい」という欲求のほうが勝った。


内容物と第一印象

箱を開けると、中身はとてもシンプル。

  • マウス本体

  • USBレシーバー

  • 単三アルカリ電池1本(モニター用)

  • 取扱説明書

  • Razerのステッカー

余計なものは一切なく、
**“すぐ使うための最低限”**だけが揃っている。


重さとバランス感覚

持った瞬間の印象は「普通」。

軽すぎず、重すぎない。
G502 Wirelessと比べると、V2 X HyperSpeedのほうが軽い

無線+電池式という構成を考えれば、
かなりバランスの取れた重量感だと思う。


無線の遅延について

結論から言うと、遅延はまったく気にならない

ブラウジング、画像編集、ブログ執筆といった
日常用途では、有線との差を感じる場面はなかった。

「無線だから妥協する」という感覚はなく、
**普通に“道具として成立している無線”**という印象。


クリック感はどう変わった?

クリック感については、
Essentialから大きな変化は感じない

  • 押し感は軽め

  • 音はやや存在感あり

  • 操作リズムはこれまでのデスアダーそのまま

良くも悪くも、「いつものデスアダー」
変に感触を変えなかったのは、個人的にかなり好印象だ。


ボタン数の進化:7ボタン → 9ボタン

ここは地味だけど、確実に進化したポイント。

DeathAdder Essentialは 7ボタン構成
完成された最小構成だった。

一方、V2 X HyperSpeedは9ボタン
この「+2」が思った以上に効いてくる。

多ボタンマウスになるほどではなく、
操作感を壊さない範囲での拡張に留まっている。

実際の使い方

自分はこの追加ボタンを
**メディアの音量調整(音量アップ/ダウン)**に割り当てている。

これだけで、
作業中にキーボードへ手を戻す回数がかなり減った。

Essentialが「完成された最小構成」なら、
V2 X HyperSpeedは
完成形に“日常向けの余白”を足したモデルだと感じる。


気になった点:スリープからの復帰がやや遅い

唯一気になったのが、
スリープ状態からの復帰時間

マウスを動かしてから
ワンテンポ遅れて反応する場面がある。

無線・電池駆動・省電力設計を優先した結果だと思うが、
有線や即応性の高い無線に慣れていると少し気になる。

致命的ではないが、
“即反応”を求める人は注意したいポイントだ。


まとめ(暫定)

  • 形状の完成度はそのまま

  • 無線でも遅延は感じない

  • 9ボタン化で日常用途が快適

  • ただしスリープ復帰は少し遅い

派手な進化ではない。
だが、安心して有線から移行できる正統進化

Huntsmanは合わなかった。
でもそれは「Razerが合わない」のではなく、
**「合うRazerと合わないRazerがはっきりした」**だけの話。

DeathAdderは、
無線になっても“手に残る道具”のままだった。


次回予告

DeathAdder Essential vs V2 X HyperSpeed
有線と無線、どちらが“無意識に手を選ばせるか”を比べてみたい。

なぜ人は“無料”に対してだけ厳しくなるのか

最近ちょっと気になることがある。

無料のサービスに対して、やたらと文句を言う人が多すぎないか、という話だ。

YouTubeの広告が多いとか、
SNSの仕様が気に入らないとか、
フリーソフトの機能が足りないとか。

 

どれもよく見る不満だし、気持ちはわからなくもない。

 

ただ、冷静に考えると、それらはほとんどが“無料”で使えているサービスだ。

 

もちろん、不満を持つこと自体は悪いことではない。
むしろ、改善のきっかけになることもある。

ただ、対価を払っていないものに対して、
まるで「お金を払っている側」のような期待を向けてしまうのは、少し不思議な感覚でもある。

 

無料という言葉は便利だ。

だが実際には、完全に“タダ”で成り立っているものはほとんどない。

どこかで誰かがコストを負担していて、
その上でサービスが成り立っている。

 

それでも人は、無料のものに対してだけ、
なぜか厳しくなりやすい。

今回は、そんな「無料なのに文句が増える現象」について、
少し掘り下げてみる。

 

無料サービスほど文句が増える現象

無料のサービスほど、不思議と文句が増える傾向がある。

わかりやすいのがYouTubeだ。

「広告が多すぎる」
「スキップできないのはおかしい」
「昔より使いにくくなった」

こういった声は、少し調べればいくらでも出てくる。

 

SNSでも同じだ。

仕様変更が入るたびに
「改悪だ」
「前の方が良かった」
といった不満が必ずと言っていいほど出てくる。

フリーソフトでも似たようなものだ。

無料で使えるにもかかわらず、
「この機能が足りない」
「ここが不便だ」
といった指摘は後を絶たない。

 

 

もちろん、これらの不満がすべて間違っているわけではない。

実際に使いにくくなっているケースもあるし、
改善の余地がある部分も多い。

ただ、それを踏まえても一つ疑問が残る。

 

なぜ人は、“無料で使っているもの”に対して、
ここまで強い要求を向けるのか。

 

お金を払っているサービスであれば、
ある程度の品質や快適さを求めるのは当然だ。

だが無料の場合、本来はそこまでの期待を前提としていないはずだ。

 

それでも人は、無料のサービスに対して、
有料と同じか、それ以上の基準を求めてしまう。

ここに、この現象の面白さと違和感がある。

 

 

無料でも遊べるのに荒れるソーシャルゲーム

この傾向が特にわかりやすいのが、ソーシャルゲームだ。

いわゆる「基本プレイ無料」のゲームは、
無料でもある程度遊べる一方で、課金することで有利になる設計になっている。

構造としてはシンプルだ。

無料 → 制限あり
課金 → 快適・有利

 

本来であれば、この仕組みはそこまで不思議なものではない。

むしろ、無料で遊べるだけでも十分ありがたいはずだ。

 

それでも、ソーシャルゲームはよく荒れる。

「課金ゲーすぎる」
「無課金じゃ勝てない」
「運営のバランス調整がおかしい」

といった不満は、どのゲームでも必ずと言っていいほど見かける。

 

ここで面白いのは、ユーザーが求めているものだ。

多くの場合、求めているのは“遊べること”ではない。

“公平さ”だ。

 

無料で遊べるだけでは満足できず、
課金しているユーザーと同じ土俵で戦えることを求めてしまう。

だが、課金によって差が生まれるのは、
この手のゲームの仕組み上、ある意味当然でもある。

 

それでも不満が出るのは、
「無料であること」と「平等であること」を、
無意識に結びつけてしまうからなのかもしれない。

 

無料だからこそ制限がある。
課金するからこそ差がつく。

本来はシンプルなこの関係が、
ユーザーの中で少しずつズレていく。

 

そして気づけば、
“無料なのに不満が出る”状態が出来上がる。

 

なぜ無料だと文句が増えるのか

ではなぜ、人は無料のサービスに対してここまで強い不満を持つのか。

一つの大きな理由は、「対価を払っていないこと」にある。

 

お金を払っている場合、人はある程度の“納得”を前提にサービスを受け入れる。

多少の不満があっても、
「この価格ならこんなものか」と、自分の中で折り合いをつける。

 

一方で、無料の場合はその前提がない。

お金を払っていないからこそ、
「損をしていない」という感覚が強くなる。

 

するとどうなるか。

サービスに対して“制限なく期待する”状態になる。

 

本来であれば、

無料 → 制限あり
有料 → 快適

という前提があるはずだ。

 

だが無料の場合、その前提が意識されにくい。

結果として、
「もっとこうできるはず」
「なぜここが改善されないのか」
といった“理想ベースの要求”が増えていく。

 

そしてその理想は、往々にして際限がない。

 

お金を払っていれば、どこかで
「ここまでなら十分」と線引きできる。

だが無料の場合、その線引きが存在しない。

 

だからこそ、人は無料のサービスに対して、
無意識のうちに過剰な期待を抱き、
結果として不満が増えていく。

 

「無料で遊ばせてもらっている」が「当然の権利」に変わる瞬間

最初は、「無料で遊ばせてもらっている」という感覚だったはずだ。

新しく見つけたサービスやゲームを触って、
「これが無料で使えるのか」と少し驚く。

この段階では、不満はそこまで出てこない。

多少の不便や制限があっても、
「まぁ無料だし」で納得できる。

 

だが、使い続けているうちに少しずつ感覚が変わっていく。

ログインが習慣になり、
毎日触ることが当たり前になり、
そのサービスが生活の一部になっていく。

 

このあたりから、「無料で使わせてもらっている」という意識が薄れていく。

 

そして、ある瞬間からこうなる。

「この機能はあるべきだ」
「ここは改善されるべきだ」
「この仕様はおかしい」

 

いつの間にか、サービスに対して“当然の権利”のように語り始める。

 

もちろん、長く使っているからこそ見えてくる問題もあるし、
改善を求めること自体は悪いことではない。

 

ただ、その出発点が「無料で使わせてもらっている」から始まっていたことは、
意外と忘れられがちだ。

 

人間は、慣れる生き物だ。

最初はありがたいと思っていたものでも、
時間が経てばそれが“当たり前”になる。

 

そして当たり前になった瞬間、
それは“権利”に変わる。

 

この変化こそが、
「無料なのに文句が増える」現象の正体なのかもしれない。

 

自分なりの線引き

自分の場合、この感覚がズレていくのを防ぐために、
ある程度の線引きをしている。

新しくリリースされたゲームには、最初に500円まで課金する。

いわば“御祝儀”みたいなものだ。

 

完全な無料の状態から一歩離れて、
「対価を払っている側」に立つことで、
サービスに対する見え方が少し変わる。

 

ただし、課金すれば何でもいいというわけでもない。

実際に、一度痛い目を見ている。

 

とあるDMM系のソーシャルゲームに1万円ほど課金した直後、
翌週にサービス終了の告知が出た。

「あーぁ、マジかよ…」としか言えなかった。

 

この経験以降、DMM系のソーシャルゲームには基本的に課金しないようにしている。

 

つまり重要なのは、「課金するかどうか」ではなく、
“どこに、どれだけ払うか”という判断だ。

 

無料も、課金も、どちらも使い方次第で、
見え方は大きく変わる。

 

有料になると人は急に優しくなる

一方で、有料になると人は驚くほど態度が変わる。

わかりやすい例がYouTubeだ。

 

無料版のYouTubeでは、

「広告が多すぎる」
「スキップできないのはおかしい」
「最近改悪ばかりだ」

といった不満をよく見かける。

実際、自分も無料で使っていた頃は、広告に対してそれなりにストレスを感じていた。

 

だが、YouTube Premiumに加入してからは、その感覚がかなり変わった。

広告は表示されないし、
バックグラウンド再生もできるし、
ミックスプレイリストで音楽を流しっぱなしにもできる。

 

いわゆる「快適な環境」になったわけだが、
それ以上に大きいのは“感じ方”の変化だ。

 

今はほとんど不満がない。

というより、「まぁ金払ってるしこんなもんか」と自然に受け入れている。

 

ここが面白いところで、
サービスの質そのものが劇的に変わったわけではない。

 

変わったのは、自分の立場だ。

 

無料のときは“受け取る側”だったのが、
課金したことで“対価を払う側”に変わる。

 

その瞬間に、サービスに対する見方も変わる。

 

無料のときは
「なんでこれができないんだ」
と考えていたのが、

有料になると
「この価格でここまで使えるなら十分か」
に変わる。

 

結局のところ、人間は“お金を払ったもの”に対しては、
ある程度の納得を前提に受け入れるようになる。

 

逆に言えば、無料のときはその前提がない。

だからこそ、理想や期待だけが先行して、
不満が大きくなりやすいのかもしれない。

 

よし、ここで“現代っぽさ”と“納得感”を仕上げるパートいく 👍


最初から課金前提のサービスはなぜ納得できるのか

もうひとつ、最近わかりやすいと感じているのがChatGPTのようなAIサービスだ。

 

無料でも使えるが、できることには明確な制限がある。

利用回数や機能、使えるモデルなど、
どこかで必ず“壁”に当たる設計になっている。

 

正直なところ、無料のまま使い続けるのはなかなか厳しい。

 

だからこそ、最初からこう思う。

「これは課金前提のサービスだな」と。

 

自分も実際に課金して使っているが、不満はほとんどない。

むしろ、
「これだけ使えるなら妥当だな」
という感覚に近い。

 

ここでも変わっているのは、サービスそのものではない。

自分の立場だ。

 

無料のときは
「もっと使わせてほしい」
「制限が多すぎる」

と感じていたものが、

課金後は
「この範囲なら十分使える」
と受け止め方が変わる。

 

この違いは大きい。

 

ChatGPTのように、最初から“無料には限界がある”と明確に示されているサービスは、
むしろ健全なのかもしれない。

 

無料で何でもできるように見せてしまうと、
後から制限に対する不満が噴き出しやすい。

 

その点、最初から線引きされている方が、
ユーザー側も納得しやすい。

 

無料の範囲、有料の範囲。

その境界がはっきりしていることが、
結果的に不満を減らしている。

 

それでも無料が成り立っている理由

ここまで見てきた通り、無料のサービスにはさまざまな不満が集まりやすい。

それでも、世の中には無料で使えるサービスが溢れている。

 

では、なぜ無料が成り立つのか。

答えはシンプルで、どこかで必ずお金が動いているからだ。

 

最もわかりやすいのは広告モデルだろう。

ユーザーは無料でサービスを使える代わりに、
広告を見ることで“対価”を支払っている。

 

YouTubeの広告もそうだし、
SNSのタイムラインに流れてくる広告も同じ構造だ。

 

他にも、データの活用という形で価値が生まれている場合もある。

ユーザーの利用状況や興味関心が分析され、
それが広告やサービス改善に使われている。

 

あるいは、無料版はあくまで“入り口”として設計されていて、
有料プランへ誘導するための役割を持っている場合も多い。

 

つまり、「無料」というのは、
単にお金を払っていないというだけであって、
何も支払っていないわけではない。

 

 

時間、注意力、データ。

形は違っても、何かしらの対価は必ず存在している。

 

それを意識せずにいると、
無料=完全にタダ、という認識になりやすい。

 

そしてその認識こそが、
過剰な期待や不満を生み出す原因になっているのかもしれない。

 

結論:無料は“タダ”ではない

ここまで見てきた通り、無料のサービスには独特の難しさがある。

 

無料で使えるがゆえに、
人は制限を意識しにくくなり、
気づけば過剰な期待を抱くようになる。

 

そしてその期待は、いつの間にか“当然の権利”に変わる。

 

その結果が、「無料なのに文句が増える」という現象だ。

 

だが実際には、無料のサービスも決して“タダ”ではない。

 

広告という形で支払っている場合もあれば、
データや時間といった別の形で対価を差し出していることもある。

 

あるいは、無料はあくまで入口であり、
どこかで課金によって支えられている構造になっている。

 

つまり、形が見えにくいだけで、
何も支払っていないわけではない。

 

そしてもうひとつ重要なのは、
“対価を払うことで見え方が変わる”ということだ。

 

無料のときには不満に感じていたことも、
課金した途端に「こんなものか」と受け入れられるようになる。

 

サービスそのものが変わったわけではない。

変わったのは、自分の立場と視点だ。

 

だからこそ、無料のサービスに触れるときは、
ほんの少しだけ意識してみてもいいのかもしれない。

 

これは本当に“タダ”なのか。
自分は何を受け取って、何を差し出しているのか。

 

それを考えるだけで、
同じサービスでも見え方は少し変わる。

 

そしてその変化は、
余計な不満を減らしてくれることにも繋がるはずだ。

MEシャーシ改造論 その2|ライトダッシュで肩慣らしする

導入

その1で、駆動ロスと向き合い、まず「整える」ところまでやった。
次は、いよいよパワーを入れる段階だ。

とはいえ、いきなりハイパーダッシュには行かない。
今回はライトダッシュモーターPROで肩慣らしをする。

理由はシンプル。
強すぎないモーターで、整えた駆動が正しく仕事をしているかを確かめたいからだ。

1. なぜライトダッシュモーターPROから始めるのか

ライトダッシュモーターPROは、
「遅すぎず、強すぎない」ちょうどいい立ち位置にいる。

  • 駆動の良し悪しが分かりやすい

  • 暴れにくい

  • セッティングの変化を素直に返してくれる

その1でやった
カウンターギアのガタ取りロス低減が、
ここでちゃんと効いてくる。

いきなりハイパーダッシュを入れてしまうと、
パワーに隠れて見えなくなる部分が出る。
まずはライトダッシュで、土台の出来を確認する。

2. ライトダッシュを入れる前提条件

ライトダッシュを入れる前に、最低限これだけは済ませておきたい。

  • カウンターギアのガタ取りができている

  • 駆動がスムーズに回る

  • 構成は**リジット(ギミックレス)**のまま

ここでギミックを入れないのがポイント。
挙動の変化をモーターと駆動の差だけで見たいからだ。

3. ギア比は3.7:1のトルク型に変更する

ライトダッシュを入れるなら、
ギア比は標準の3.5:1のままにしない

おすすめは3.7:1のトルク型

  • 加速が安定する

  • 回転を無理なく使える

  • 駆動ロスを潰した状態と相性がいい

スピードを取りに行く選択じゃない。
回転をきれいに使い切るためのギア比だ。

ここでの目的は、
「速さ」よりも「扱いやすさ」。

4. ステーはARシャーシ用FRPで十分

ライトダッシュモーターPROを入れる段階で、
剛性も少しだけ引き上げておきたい。

とはいえ、
いきなりカーボンにする必要はない

この段階では、

  • ARシャーシ用FRPステー

  • 必要な場所に、必要な分だけ

これで十分だ。

MEシャーシは前後バンパーが着脱式だから、
FRPステーの追加もやりやすい。
「盛る」よりも、ブレを抑える感覚で使う。

剛性を上げすぎると、
逆に挙動が読みにくくなることもある。
ライトダッシュとの組み合わせなら、
FRPくらいがちょうどいい。

5. ライトダッシュを入れて分かること

ライトダッシュモーターPROを入れて走らせてみると、
いろいろなことが見えてくる。

  • 駆動が整っているかどうか

  • ギア比が合っているか

  • 無駄な抵抗が残っていないか

ここで重要なのは、
「速いかどうか」より「素直かどうか」

もし変な音が出るなら、
どこかにロスが残っている。
挙動が暴れるなら、
剛性かバランスが足りていない。

ライトダッシュは、
そういう不具合を隠さない

だからこそ、
肩慣らしとして優秀なんだと思う。

結論:ライトダッシュは最高の肩慣らし

MEシャーシ改造論 その2の結論は、かなりはっきりしている。

いきなりハイパーダッシュに行かなくていい。

  • 整えた駆動を確認する

  • ギア比と剛性のバランスを見る

  • シャーシの素性をもう一段理解する

そのためのモーターとして、
ライトダッシュモーターPROはちょうどいい。

この段階を踏んでおくと、
次に何をしたくなるかが自然に見えてくる。

次回予告(その3)

次は少し視点を変える。

VZシャーシ アドバンスパックを題材に、
タミヤが公式に示している
「モーターとギア比の答え」を読み解いてみたい。

その2で体感したことを、
理屈と設計思想で答え合わせする回だ。

カロスツアー後のタスク消化中に、要らない100%を引いた話

イベント後に残る、あの時間

カロスツアーが終わったあと、
いつもの流れが始まる。

タスク消化。

イベントの熱はもうない。
でも、タスクは残っている。

惰性で歩いて、
惰性で捕まえて、
惰性でボールを投げる。

そんな時間だ。

そこで出会ったのが、コイキング

野生で出てきたのは、
コイキング

特に珍しくもない。
イベント後なら、なおさらだ。

何の期待もせずに捕まえて、
個体値を確認する。

個体値100%

100%。

一瞬、目を疑った。

今日だ。
今日捕まえた。
野生産。

……いや。

要らん。

理屈では分かっている

分かっている。

  • ギャラドスはもういる

  • 育成済み

  • 困っていない

今さらコイキング100%が出てきても、
育てる予定はない。

完全にオーバースペック。
用途なし。

それでも、逃がせない

それでも。

個体値100%
この4文字が、判断力を奪う。

使わない。
育てない。
でも、逃がせない。

こうして、
ポケモンボックスに
「要らないけど消えない存在」が
また一匹増えた。

イベント後こそ、こういうのが出る

ガチっている時じゃない。
気を抜いている時。
惰性でタスクを消化している時。

なぜか、こういう時に限って100%が出る。

カロスツアー後に発生したタスク。
その副産物が、
使い道のないコイキング100%。

ポケモンGOは、
こういう皮肉を平気で投げてくる。

……まぁ、
残すんだけどね。

SHIMANO Tiagraが11速化。ロードバイクのコンポーネント構成が変わり始めている

ロードバイクのコンポーネントに動きがあった。
Shimano のミドルグレードコンポーネント、Tiagra がついに 11速化するというニュースが出てきた。

Tiagraといえば長年「10速の定番コンポ」として多くのロードバイクに採用されてきたグレードだ。
それが今回のモデルチェンジで11速になるということは、単なるアップデートというよりも ロードコンポーネント全体の再編が始まっている可能性がある。

今回はこのTiagraの11速化について、現場目線で少し考えてみたい。

Tiagraは長年「10速の定番」だった

ロードバイクのコンポーネントは大きく分けるとこういう構成になっている。

グレード 変速段数
DURA-ACE 12速
ULTEGRA 12速
105 12速
Tiagra 10速 → 11速へ
SORA 9速
CLARIS 8速

長い間、Tiagraは 10速ロードの中心的存在だった。

  • 初心者ロード

  • ミドルグレード完成車

  • ツーリング用途

こういったバイクの多くがTiagraを採用していた。

一方で上位グレードはどんどん多段化していき、
現在では 105ですら12速になっている。

そう考えると、今回のTiagra11速化はある意味「順当な進化」とも言える。

ロードコンポーネントの段数はどんどん増えている

ロードバイクの変速段数はここ十数年でかなり増えている。

昔は

  • 8速

  • 9速

  • 10速

このあたりが主流だった。

しかし現在は

  • 11速

  • 12速

が主流になりつつある。

段数が増えることで

  • ギア比の選択肢が増える

  • ケイデンスを維持しやすい

  • レースで有利

といったメリットがある。

ただし実際のところ、趣味で乗るロードバイクでは
10速でも困る場面はほとんどない。

そのためTiagraは長い間10速のままでも成立していたとも言える。

実はもう始まっている「コンポーネントの整理」

今回のTiagra11速化は、単なる段数アップではなく
SHIMANOのラインナップ整理の一環とも考えられる。

最近登場したのが CUESシリーズだ。

これは

  • クロスバイク

  • 通勤用バイク

  • フラットバーロード

などを対象にした新しいコンポーネント群で、
耐久性重視の LINKGLIDE という規格が採用されている。

このCUESが登場したことで、
実はエントリークラスのコンポーネントは少し状況が変わってきている。

SORAとCLARISはどうなるのか

ロードコンポーネントの下位グレードには

  • SORA(9速)

  • CLARIS(8速)

が存在している。

ただし役割としては

  • エントリーロード

  • 通勤バイク

  • クロスバイク

といった用途で使われることが多い。

この用途は実は CUESとかなり被っている。

そのため今後は

  • ロード系 → Tiagra以上

  • 汎用系 → CUES

という形で整理されていく可能性もある。

あくまで予想ではあるが、
今回のTiagra11速化はそういった流れの一部なのかもしれない。

現場目線で見るTiagraというコンポ

自転車屋の現場で感じることとして、Tiagraは実はかなりバランスのいいコンポーネントだ。

性能面で言えば

  • 変速性能は十分

  • 耐久性も問題なし

  • 部品価格も比較的安い

趣味のロードバイクとして使うなら
正直これで困ることはほとんどない。

ネットではよく

「ロードバイクは105以上じゃないとダメ」

という話を見かけるが、実際のところそんなことはない。

長く自転車に乗っている人ほど

「好きなコンポを使えばいい」

というスタンスだったりする。

Tiagraはまさに

  • 初めてのロード

  • ツーリング

  • ロングライド

といった用途にちょうどいいグレードだと思う。

Tiagraの11速化はロードバイクの転換点かもしれない

今回のTiagra11速化は単なるモデルチェンジのように見えるが、
実はロードバイクのコンポーネント構成が変わる前触れなのかもしれない。

  • 上位は12速化

  • Tiagraは11速へ

  • エントリーはCUESへ

こうした流れが進めば、
ロードコンポーネントのラインナップは今後かなり整理されていく可能性がある。

今後のSHIMANOの動きにも注目していきたいところだ。

まとめ

Tiagraの11速化は単なる段数アップではなく、
ロードバイクのコンポーネント構成が変わり始めているサインかもしれない。

CUESの登場も含めて考えると、
エントリーからミドルクラスの構成は今後かなり整理されていく可能性がある。

自転車業界的にも、少し面白いタイミングに入ってきたのかもしれない。

ChatGPTと作った「ブログ更新カレンダー」が便利すぎたーPythonでブログ管理ツールを自作した話ー

ブログを毎日更新していると、だんだん困ってくることがある。

それは

**「記事の管理」**だ。

どの記事をいつ公開したのか。
これから公開する記事は何か。
そして、どの記事がどれくらい読まれているのか。

記事数が増えてくると、これらを把握するのが地味に大変になってくる。

成田ラボも記事数が200本を超えてきて、
そろそろ更新管理をちゃんとしたいなと思い始めた。

そこで作ってみたのが

ブログ更新カレンダー

というツールだ。


はてなブログでも管理はできる

一応、はてなブログにも記事管理機能はある。

記事一覧を見れば

  • 公開日時

  • 記事タイトル

は確認できる。

ただ、実際に使っていると少し思うことがあった。

一覧だと全体が見えにくい。

ブログ運営をしていると、例えばこんなことを考える。

  • 今週の記事数少ないな

  • この日は何の記事公開予定だっけ

  • 今月どれくらい更新した?

こういうのは

カレンダー形式の方が圧倒的に分かりやすい。


Googleカレンダーという選択肢

もちろん方法はいくつかある。

一番簡単なのは
Googleカレンダーに書き込む方法だ。

実際、これでも問題なく管理はできる。

でも考えているうちに、ふと思った。

どうせやるなら、自分で作ってみるか。

完全にノリである。


Pythonでツールを作ってみた

今回使ったのは

  • Python

  • Tkinter

  • JSON

Tkinterを使うと、PythonだけでGUIアプリが作れる。

ブログデータはJSON形式で保存するようにした。

理由はシンプルで

  • 軽い

  • Pythonと相性がいい

  • 人間が読める

からだ。

最初は

「カレンダーが表示できればいいかな」

くらいの気持ちで作り始めた。


気がついたら800行のツールになっていた

作っているうちに、いろいろ機能を追加したくなる。

例えば

  • 記事タイトル登録

  • カテゴリ管理

  • PV記録

  • 月別PV集計

  • 記事データ一覧

など。

その結果、最終的にこのツールは

823行のPythonコード

になった。

最初は「簡単なツール」のつもりだったのに、
気づいたらそこそこ本格的なものになっていた。


ツール画面

このツールでは

  • カレンダー形式の記事管理

  • 記事登録

  • PV管理

  • 月別PV確認

などを一つの画面で管理できる。

ブログ運営に必要な情報を
まとめて確認できるダッシュボードのようなツールだ。


このツールはChatGPTと一緒に作った

今回のツールは
ChatGPTと一緒に作った。

コード生成
エラー修正
GUI設計

すべてAIと相談しながら進めている。

もちろんAIも完璧ではないので、

  • 括弧が一つ多い

  • 表示がおかしい

といった小さなミスもあった。

そこを修正しながら、
少しずつツールを完成させていった。


完成度は99%

現在このツールの完成度は

99%

基本機能はすべて実装済みで、
すでに成田ラボの記事管理に実際に使っている。

最初は軽い気持ちで作り始めたツールだったけど、
結果的にかなり便利なものになった。


AI時代のブログ運営

昔なら

「ブログ管理ツールを作る」

なんてことは
プログラマーじゃないと難しかった。

でも今は違う。

AIと一緒なら、
個人でもこういうツールを作ることができる。

ブログを書くことも楽しいけれど、

自分専用のツールを作る

というのもなかなか面白い。

これもまた、AI時代のブログ運営なのかもしれない。


まとめ

ブログを続けていると、
管理の仕組みが必要になってくる。

既存サービスを使うのもいい。

でも

自分に合ったツールを作る

という選択肢もある。

AIがある今なら、
それはそんなに難しいことじゃない。

そして何より

自作ツールは、めちゃくちゃ便利だった。

酒でブレーキが壊れていく人を見ると、なぜ面白いのか ──東海オンエアを見ながら思ったこと

東海オンエアを見ながら思ったこと

作業中、東海オンエアの動画を流していた。
いわゆる酒企画というやつだ。

最初は普通に飲んでいる。
しかし時間が経つにつれて、徐々に様子がおかしくなってくる。

テンションが上がり、声が大きくなり、最終的にはブレーキが壊れる。

そしてそれが、なぜかめちゃくちゃ面白い。

ふと思った。
なぜ人は、酒で壊れていく人を見ると面白いのだろうか。

酒は理性のブレーキを外す

人は普段、ある程度理性で行動している。

社会の中で生きている以上、
言葉や行動にはブレーキをかけているものだ。

しかし酒が入ると、そのブレーキが弱くなる。

普段なら言わないことを言ったり、
やらないような行動をしたりする。

つまり酒は、理性の制御を少しだけ外してしまう飲み物なのだと思う。

徐々に壊れていくのが面白い

面白いのは、いきなり壊れるわけではないところだ。

最初は普通。
少し飲むとテンションが上がる。
さらに飲むと、ちょっと様子がおかしくなる。

そして最終的には、ブレーキが完全に壊れる。

この段階的な変化が見ていて面白い。

東海オンエアの酒企画は、この過程がとても分かりやすい。

実は身近にもいる

こういう「酒でブレーキが壊れる人」は、動画の中だけの存在ではない。

身近にも普通にいる。

うちのお袋である。

普段は普通の人なのだが、酒が入ると徐々に変化する。

最初は陽気になる。
よく笑うし、テンションも上がる。

ここまではまだいい。

しかしさらに酒が進むと、陽気なまま暴走する。

声が大きくなり、テンションもさらに上がる。

東海オンエアを見ていると
「ああ、この感じ見たことあるな…」と
妙な既視感を覚えることがある。

人は理性が壊れる瞬間を見るのが好き

考えてみると、こういうコンテンツは酒だけではない。

ドッキリ企画や我慢企画なども、
人が限界に近づく様子を見る面白さがある。

普段は理性で整っている人が、
少しずつそのバランスを崩していく。

人間の「素の部分」が見える瞬間があるから、
つい見てしまうのかもしれない。

酒はほどほどが一番

動画で見る分には面白いが、
現実の飲み会でやりすぎると普通に迷惑である。

酒は人のブレーキを外す。

だからこそ、ほどほどが一番だ。

……もっとも、東海オンエアを見ていると
ほどほどという概念はあまり存在しない気もするが。