こんにちは、成田です。
Linuxは無数のディストリビューションがあって、触るたびに“これはどんな子なんだろう”とワクワクする。
僕もこれまで Ubuntu、Lubuntu、Mint、Zorin、elementary、Voyager、CentOS といった有名どころを一通り試してきた。
どれも魅力的で、“Linuxってやっぱり自由だなぁ”と感心する。
……でも、結局僕は“メイン環境では愛せなかった”。
なぜか?その理由を5つにまとめてみる。
理由1:Windows環境が出来上がりすぎている

僕のメインPCはもう Windows 11 にがっちり最適化されている。仕事で使うアプリも、普段の生活で必要なソフトも、全部そこに揃っている。加えて、古い互換性のために Windows 10環境も残している。つまり、すでに「二重生活」をしている状態だ。
ここにLinuxを常用で加えるとなると、「三重生活」になる。正直、切り替えが面倒だし、頭の切り替えもついていかない。
実際に試したときもそうだった。UbuntuやMintはUSBから起動してすぐ触れるし、インストールしてもサクッと動く。「おっ、快適だな」と思うのに、結局「お試しで終わる」パターンばかり。環境をゼロから作り直す気力が湧かず、「まぁWindowsが安定してるし…」と戻ってしまう。
👉 要するに、Windowsがすでに「本宅」として完成されているから、Linuxは「遊びに来る友達」くらいのポジションで落ち着いてしまう。
理由2:NVIDIAグラボがツンデレすぎる

LinuxとNVIDIA、この組み合わせは昔から「相性問題の常連」として有名だ。僕のPCもNVIDIA製のグラボを積んでいて、これがなかなかLinuxと素直に仲良くしてくれない。
まず、デフォルトで使われる nouveauドライバ。これは「とりあえず動くけど本気を出さない」タイプ。解像度は出るし画面も映るけど、GPUパワーを全然活かしてくれない。動いてはいるのに、なんかずっと肩透かしを食らってる感じだ。
かといって公式のNVIDIAドライバを入れると「今度はカーネル更新で機嫌を損ねる」。ある日アップデートしたら、再起動後にブラックアウト。そこからは黒い画面とにらめっこして「お祈りタイム」が始まる。こういうトラブルが続くと、どうしても「安定してるWindowsの方がいいや」と思ってしまう。
実際に試した中では、Zorin OSやelementary OSは見た目がMacっぽくて「おっ、これはいい!」とテンションが上がったのに、数日後のアップデートで起動不能になったことがあった。ツンデレにもほどがある。
👉 要するに、NVIDIAはLinuxに対して「気まぐれで愛情を試してくる恋人」みたいな存在だ。最初は甘えてきても、急に冷たく突き放してくる。安定を求める僕としては、そんな駆け引きにはついていけないのだ。
理由3:結局Windowsに帰ってしまう

Linuxを入れて動かしてみると、たしかに快適だ。起動は速いし、動作は軽い。特に Voyager OS は壁紙やUIが派手で、「おお、これは遊んでて楽しい!」とテンションが上がった。CentOSを触ったときは「いかにもサーバー用!」という堅実さが逆に新鮮で、「玄人っぽさ」にワクワクした。
でも、楽しさはそこまで。いざ日常の作業に戻ると「あれ?やっぱりWindowsじゃないと不便だな」という場面にぶち当たる。
たとえば──
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ゲームをやりたいとき(Steam以外は特に厳しい)
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Adobe系のソフトを触りたいとき(代替はあるけど、完全には置き換えられない)
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業務用のアプリや周辺機器を使うとき
こういう“どうしてもWindowsじゃないとダメ”な瞬間が必ず出てくる。
結果、「Linux楽しいな〜」と浮気しても、数日後には「ただいまWindows」と戻ってしまう。
VoyagerやCentOSは「旅行先の温泉宿」みたいなもの。そこでの一泊は新鮮で気持ちいい。でも、最終的には自分の布団(=Windows環境)が一番落ち着くのだ。
👉 要するに、Linuxは“旅先の恋人”、Windowsは“結婚相手”。浮気しても最後は戻ってしまう関係になっている。
理由4:.exe中毒から抜け出せない

Windowsユーザーにとって「ソフトを入れる=.exeをダブルクリックして次へ次へ押す」──これは呼吸みたいに自然な動作だ。
だからLinuxに移るとき、まず最初にぶち当たるのが「え、インストーラはどこ?」という違和感。
Linuxでは基本的にパッケージマネージャーからインストールする。Ubuntu系なら apt、Fedora系なら dnf。GUIのソフトウェアセンターもあるけど、検索しても欲しいソフトが出てこないことが多い。結局「公式サイトから.debや.rpmを拾う」「ターミナルでコマンドを叩く」という流れになる。
僕も Lubuntu を古いノートに入れて「おっ、まだ戦えるじゃん!」と感動したことがある。でも次の瞬間「ブラウザを追加で入れよう」としたら、ターミナルを開いてコマンド入力が必要になった。「あれ?ここからどうすんの?」と固まってしまったのを覚えている。
Windows感覚が染み付いていると、この「.exeがない世界」は思った以上に心理的ハードルが高い。便利な自販機に慣れた人間が、いきなり井戸に水を汲みに行けと言われるようなものだ。
Linux自体は悪くない。でも、僕の身体が.exe中毒から抜け出せていないのだ。
👉 要するに、Windowsの.exeは中毒性が高すぎて、一度ハマると抜け出せない。Linuxは健康食かもしれないけど、ついついジャンクフードに手を伸ばしてしまう。
理由5:黒い画面(ターミナル)が怖い

Linuxを本気で使おうとすると、必ず立ちはだかるのがターミナル。
もちろんGUIのソフトウェアセンターでもある程度は完結できる。でも、情報サイトやフォーラムを見ると「はい、ターミナル開いてこれを打ってください」で始まる手順がほとんどだ。
僕も最初に Linux Mint を試したとき、ブラウザや音楽プレイヤーを入れるために sudo apt install を叩いた。コマンド自体は短いし簡単。でもそのとき、なぜか手が震えた。「もしタイプミスしたら、このPCが爆発するんじゃないか?」と本気で思ったくらいだ。
黒い画面にカーソルが点滅しているだけなのに、あの独特の緊張感。まるで試験官にじっと見られている中、答えを書かされているようなプレッシャーがある。慣れてしまえば日常茶飯事なのに、最初のうちは「コマンド=魔法の呪文」に見えてしまう。
Windowsでいうと、普段はマウスでポチポチやっているのに、いきなり「じゃあ次は呪文を詠唱して実行してください」と言われる感じだ。ゲームで言えば、いきなり隠しコマンドを入力しないと先に進めないダンジョンに放り込まれるようなもの。
👉 要するに、ターミナルはLinuxの真髄であり、同時に心理的ハードルの象徴。僕にとっては「触れるたびに緊張する黒い試験会場」だ。
まとめ
こうして振り返ってみると、Linuxは確かに魅力が多い。
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古いPCを蘇らせる力がある
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ディストリごとに個性があって、試すのが楽しい
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無料で自由にカスタマイズできる
でも僕にとっては、「Windowsがすでに生活の本宅」であり、「NVIDIAや.exe依存という壁」が厚く、「ターミナルの黒い画面」にもまだ緊張してしまう。
結局のところ、Linuxはいつも休日の遊び相手で終わってしまうのだ。
もちろん、これは「僕の環境・僕の性格」での話。実際にはUbuntuやMintで十分快適に過ごせる人も多いし、ターミナルを駆使して完全にLinuxに移行している人だって山ほどいる。
だけど、**僕がLinuxを“愛せなかった5つの理由”**は、きっと同じように感じている人も少なくないはずだ。
言うなれば──
僕は浮気性だから、時々Linuxに惹かれて試してみる。けど最終的には「やっぱりWindowsがいいな」と帰ってきてしまう。
そういう関係も悪くないのかもしれない。