
音楽や映像、写真──いま私たちが当たり前のように楽しんでいるメディアは、ほんの少し前までは「選ばれた人だけのもの」だった。
宮廷で開かれるコンサート、豪華な映画館での上映、写真館で家族が正装して並ぶ一枚。
それらは庶民にとって“特別な日”の体験であり、日常的に楽しむ対象ではなかった。
けれども技術の進歩は、その特権を少しずつ溶かしていった。
蓄音機やラジオが登場したとき、人々は「家の中で音楽が流れるなんて!」と驚いたはずだ。
テレビが居間にやってきたときは、まるで魔法の窓を手に入れたかのようだっただろう。
写真も、かつては「魂を抜かれる」と恐れられたのに、いまでは昼食のカレーですらスマホで撮影してSNSにアップされる。
人類はここ百年あまりで、メディアを“特別なもの”から“日常の一部”へと変えてきたのだ。
そして今、誰もがスマホ一台で動画を撮り、音楽を発信し、世界中に届く時代になった。
「昔の王様よりも、現代の中学生の方がメディアに触れている時間は長い」と言っても、あながち冗談ではない。
その流れの先に見えてきたのがメタバースだ。
現実世界にもうひとつの社会を重ね、私たちはそこで働き、遊び、時に生きるようになるのかもしれない。
──ネットは広大だわ。気がつけば、私たちはその入口に立っている。
音楽の大衆化
音楽の始まりは、権力や宗教に密接に結びついていた。
ヨーロッパでは、王侯貴族が宮廷楽団を抱え、荘厳な教会音楽が信仰の象徴として響いていた。
バッハやモーツァルトの名曲は、いまや誰でも聴けるが、当時は限られた場でしか味わえない“特権階級の娯楽”だったのだ。
19世紀、産業革命と印刷技術の進歩は音楽を少しずつ開放していった。
楽譜が大量に出回り、街の楽器店で買えるようになった。
ブルジョワ家庭ではピアノが置かれ、娘が演奏できることが教養の証とされた。
音楽は少しずつ“庶民の家庭”に入り込み始める。
20世紀初頭に蓄音機が登場すると、音楽は「その場に行かなくても聴ける」ものへと変わった。
ラジオの普及はさらに革命的で、最新の流行歌が家庭に直接届くようになった。
人々は歌謡曲やジャズを口ずさみ、音楽は“誰もが共有する文化”になった。
戦後にはロックンロールが登場し、エルヴィスやビートルズが世界中の若者を熱狂させる。
日本でも美空ひばりやGS(グループサウンズ)、やがてフォークやニューミュージックが登場し、音楽は世代ごとのアイデンティティを形作るものになった。
そして1980〜90年代、CDの普及とともに音楽は「所有する文化」のピークを迎える。
お気に入りのアルバムを棚に並べることが、一種の自己表現でもあった。
やがてインターネットが音楽の流通を変え、iTunesやYouTubeが登場すると、「所有する」から「配信で聴く」へと大きくシフトする。
いまやSpotifyやApple Musicで数千万曲が聴き放題。
通勤中のサラリーマンも、深夜に勉強している高校生も、スマホ一つで宮廷のコンサート以上の音楽体験を味わっている。
かつての王様でさえ、これほどのプレイリストを持つことはできなかっただろう。
映像の大衆化
映像もまた、もともとは特別な場所でしか体験できないものだった。
19世紀末に映画が誕生したころ、映像は“活動写真”と呼ばれ、見られるのは都市部の劇場に限られていた。
映画館は非日常の空間であり、庶民にとっては晴れの日の娯楽だった。
1920年代にトーキー映画が登場すると、映像は一層のリアリティを帯びる。
ハリウッド映画が世界を席巻し、映画館は“夢を見る場所”として大衆の文化になっていった。
しかしそれでも、映画を見るにはわざわざ館に足を運ぶ必要があった。
その壁を破ったのがテレビだ。
1950年代以降、各家庭にブラウン管テレビが普及し、人々は居間で映像を楽しめるようになった。
「巨人、大鵬、卵焼き」なんてフレーズが生まれたのも、テレビが国民的娯楽となった証だろう。
映像は“街に出かける特別な体験”から“家族で過ごす日常”へと変化したのだ。
さらに1980〜90年代にはVHSやDVDが普及し、映画やアニメを“借りて家で観る”文化が花開く。
週末にレンタルビデオ店へ通うのは、一種のイベントでもあった。
そして21世紀に入ると、ブロードバンド回線とともにネット配信が急速に広がる。
YouTubeやNetflixが登場し、映像は「観る」だけでなく「発信するもの」へと変わっていった。
猫の動画から個人のドキュメンタリーまで、あらゆる映像が大衆に開かれた。
今や誰もがポケットのスマホを通じて、映画館の大スクリーンを超える情報量の映像にアクセスできる。
かつてハリウッドスターを仰ぎ見ていた庶民は、いまや自分自身がスマホ片手に主演・監督・配信者となれる時代を生きている。
──もっとも、レンタルビデオを返し忘れて延滞料を払う緊張感だけは、配信サービスには存在しないのだが。
写真の大衆化


写真もまた、最初はごく限られた人々しか触れられない特別な技術だった。
19世紀、写真術は化学薬品や大型機材を必要とし、専門家だけが扱えるものだった。
庶民が写真を撮る機会といえば、家族で正装して写真館に行く「一世一代の記念撮影」くらい。
しかも当時は「カメラに魂を抜かれる」と恐れられ、写真は畏怖と非日常の象徴でもあった。
20世紀に入ると、コダック社が「あなたはシャッターを押すだけ」というキャッチコピーで大衆向けカメラを売り出した。
これにより写真は一気に身近になり、旅行や運動会など、家庭のイベントを記録する文化が広がっていく。
「プロに頼むもの」から「家族が撮るもの」へと変わったのだ。
やがてデジタルカメラが登場し、写真は「失敗しても消せばいい」時代に突入する。
現像代を気にせず、何枚でも撮影できるようになったことは、庶民にとって革命的だった。
そしてスマートフォンの普及が写真文化を決定的に変えた。
もはやカメラは特別な機材ではなく、誰もがポケットに持ち歩いている。
しかも撮った写真は即座にSNSへアップロードされ、友人や世界中の人々と共有できる。
昼食のラーメン一杯ですら、数分後にはインターネットの海に流れ込んでいくのだ。
今ではAIが写真を自動で補正し、ときには存在しない景色すら生成してしまう。
写真は「現実を記録する」ものから「現実を編集・創造する」ものへと役割を変えつつある。
──魂を抜かれると恐れられていた写真は、いつの間にか“魂を盛る”ツールに進化してしまったのかもしれない。
インターネットとSNSの大衆化
インターネットの登場は、メディア大衆化の歴史を一気に加速させた。
1990年代、まだ“ピーヒョロロ”というモデム音が鳴り響いていたころ、ネットは一部のマニアや研究者の遊び場にすぎなかった。
庶民にとっては「怪しい掲示板」や「高額な接続料」のイメージが強く、日常生活からは遠かった。
だがADSLや光回線による常時接続が広がると、ネットは一気に生活の基盤となる。
ニュースを読む、買い物をする、友人にメールを送る──それまで別々だった行為がネットに集約されていった。
そして2000年代半ば、SNSの登場が人々のメディア体験を根底から変えた。
ブログ、mixi、Facebook、Twitter(現X)、Instagram…。
それまでの「情報を受け取る側」から「発信する側」へと、人々はシフトしていった。
かつては新聞社やテレビ局だけが担っていた情報発信を、今や誰もがスマホからできるようになったのだ。
この流れは映像や写真とも融合し、YouTubeやTikTokが“全員クリエイター時代”を決定づけた。
小学生が実況動画を配信し、主婦が料理動画を上げ、世界に数百万のフォロワーを持つ人が現れる。
プロとアマチュアの境界は急速に溶け、むしろ「個人の発信力」が時に既存メディアを上回るほどになった。
SNSによる大衆化は、単なる娯楽の延長ではない。
政治運動や社会問題の拡散にも利用され、社会そのもののあり方を変える影響力を持つようになった。
──ただし、誰もが発信できる時代には副作用もある。
フェイクニュースや炎上、バズ狙いの過激表現など、情報の洪水に溺れる危うさも同時に大衆化してしまったのだ。
そして思えば──昔は「掲示板にカキコ」するのが精一杯だったのに、いまや世界に向けて“拡散”できるのだから、時代は恐ろしい。
で進化していた“パイプ役”
ここまで見てきた音楽・映像・写真・SNSの大衆化──その裏には、必ず“目に見えない進化”があった。
そう、ネットワークだ。
どんなに素晴らしいメディアが登場しても、それを多くの人が享受できるかどうかは「つなぐパイプ」の太さと速さにかかっていた。
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音楽の大衆化を支えたのは、ラジオ放送や有線放送。
音を遠くまで飛ばす技術がなければ、レコードは一部の愛好家の趣味で終わっていただろう。 -
映像の大衆化を広げたのは、地上波テレビや衛星放送、そして光回線。
巨大スクリーンが家庭に入り込み、やがてブロードバンドが配信サービスを可能にした。 -
写真の大衆化を加速させたのは、モバイル通信。
3G、4G、5Gと進化するたびに、撮った写真を「すぐ送る」「すぐ共有する」文化が拡大した。 -
インターネットとSNSの大衆化は、ADSLや光回線の常時接続があってこそ。
つなぎ放題になって初めて、人々は「日常的に発信する」という感覚を持てるようになった。
そして次に待っているのは、6Gや超低遅延ネットワークの時代だ。
現実と変わらないスピードで人が集い、会話し、働ける──そんなインフラが整って初めて、メタバースの大衆化は現実になる。
言ってみれば、メディアの大衆化は常に「ネットワークの大衆化」と二人三脚で進んできたのだ。
パイプが太くなるたびに、私たちの文化もまた広がっていった。
──ネットワークはいつも地味で目立たない。けれど、もしなかったら、私たちは今もCDを裏返して聴いていたかもしれない。
メタバースの大衆化
音楽も映像も写真も、そしてSNSも──すべては大衆に開かれ、誰もが自由に楽しみ、発信できるものになった。
その延長線上にいま、メタバースという新たな空間が姿を現しつつある。
メタバースは「仮想空間にもう一つの社会を構築する試み」と言える。
VRゴーグルをかければ、遠く離れた友人と同じ部屋にいるように会話ができる。
仮想の会議室で働き、仮想の教室で学び、仮想の街で買い物をする。
もはやゲームだけにとどまらず、“生活そのもの”が複製されようとしているのだ。
この動きは、90年代からファンを魅了してきた『攻殻機動隊』の世界を思い出させる。
草薙素子たちは「電脳空間」を当たり前のように行き来し、時に現実以上にそこで生きていた。
私たちが触れようとしているメタバースは、まさにその原型に近い。
もちろん課題もある。
フェイクや過剰商業化のリスクはSNS以上に深刻かもしれない。
しかし同時に、地理や身体的な制約を超えて「誰もが社会に参加できる」環境を提供できるのもメタバースだ。
かつて音楽や映像が「特権から大衆へ」と開かれたように、今度は**“生き方そのもの”が大衆化**されようとしている。
──ネットは広大だわ。
気がつけば私たちは、攻殻の電脳空間に片足を突っ込んでいるのかもしれない。
まとめ
音楽も、映像も、写真も──かつては一部の人だけの特権だったものが、技術とネットワークの進化によって大衆の手に開かれてきた。
私たちは今、その延長線上でSNSを使い、配信し、発信し、時には世界中の人とつながっている。
そして次に待つのは、メタバースという“もうひとつの社会”だ。
そこでは現実と仮想の境界が薄れ、誰もが電脳空間に居場所を持つようになるかもしれない。
攻殻機動隊の草薙素子が「ネットは広大だわ」と呟いたとき、それはまだフィクションだった。
けれど今の私たちは、その未来の入口にすでに立っている。
──もっとも、電脳化するその日までに、まずはスマホの充電を忘れないようにしたい。