narita-lab’s blog

成田ラボ 〜テクノロジーと雑学の観察日記〜

500円で32GBの衝撃――15年前のストレージ価格を知る世代が感じた時代の加速

🪙第1章:導入「500円で32GBの衝撃」

ある日、何気なく立ち寄ったダイソーのデジタルコーナーで、ふと目を疑った。
「32GB SDカード 500円(税別)」――。
え、500円?思わず二度見した。しかもちゃんとメーカー品。

頭の中に、15年前の自分がよみがえる。
あの頃、PSPに音楽と動画を詰め込みたくて、16GBのメモステを探していた。
でも高かった。確か8,000円とか、下手をすれば1万円近くした記憶がある。
手が届かなくて、結局4GBで我慢していた。

その「倍の容量」が、今は500円。
税込でもワンコインでおつりがくる。
――そう考えた瞬間、目の前のSDカードが、ただのガジェット用品ではなく、
15年分の技術と時間を凝縮した“小さな記録の塊”に見えてきた。

 

🕹️第2章:PSP全盛期の頃、16GBは“憧れのサイズ”だった

今でこそ32GBや64GBなんて当たり前だけれど、
2009年ごろ――PSPが街中で光っていたあの頃――16GBは“夢の容量”だった。

あの頃のストレージ価格は、とにかく高かった。
8GBで4,000円、16GBなら1万円近く。
アルバイトをしていても、ちょっとした贅沢品だった。
当時はまだ「容量はお金で買うもの」だったのだ。

PSPの画面に動画を入れて、音楽を詰めて、
それでも残り容量が足りないと表示された瞬間の“あの焦燥感”を覚えている。
「どの曲を削ろうか」「どの動画を残そうか」――そんな取捨選択を、
ストレージの都合で迫られていた。

今では信じられないかもしれないが、
“16GBを持っているだけで少し誇らしい”という空気があった。
SDカードやメモステのパッケージに印刷された「Class 4」「高速転送対応」の文字が、
まるでスペックを誇示するバッジのように見えた。

その時代を知っているからこそ、
ダイソーの500円SDカードに出会ったとき、
頭の中で15年前の自分が「うそだろ……」とつぶやいたのだ。

 

💾第3章:なぜここまで安くなったのか ― ストレージ進化の裏側

32GBが500円。
この“ありえない価格”の裏には、15年間積み重ねられてきた技術革新がある。

まず、ストレージの心臓部であるNANDフラッシュメモリの構造が大きく変わった。
2000年代後半までは、チップ内部に1層だけセルを並べた「平面構造(2D NAND)」が主流だった。
しかし今は、チップを縦方向に何層も重ねる3D NANDが主流。
同じ面積でも記録できる情報量が桁違いになり、
結果的に「容量単価(1GBあたりの価格)」が爆発的に下がった。

さらに、量産の波に乗ったのがスマートフォンだ。
2010年代に入ると世界中のスマホフラッシュメモリを必要とするようになり、
製造ラインが拡大、歩留まりが向上し、コストが一気に下がった。
「数を作るほど安くなる」――それが半導体の宿命である。

そしてもう一つ大きいのが、需要の変化だ。
今ではクラウドストレージが主流になり、
SDカードは“メインの保存場所”ではなく“補助メディア”へと立場を変えた。
需要の中心が高性能SSDやサーバー向けメモリに移ったことで、
SDカードのような小型メディアはコモディティ化――つまり“日用品”になった。

かつて“技術の塊”だったストレージが、
今はコンビニ横の棚や100円ショップの一角に並んでいる。
それ自体が、技術史の縮図なのだ。

 

🕰️第4章:価格の記録が教えてくれる「時間の感覚」

技術の進化を、私たちは「数字」で見ることが多い。
CPUのクロック数、画素数、ストレージ容量。
けれど実際には、それらの数字は“時間の速度”を映している。

15年前、16GBのメモリーカードを前に「高すぎて買えない」と思った。
その同じ容量を、今はほとんど意識もせず使い捨てのように扱っている。
人間の感覚は、技術の進化についていけるほど速くは変わらない。
だからこそ、500円で32GBという現実を目にした瞬間に、
“あの頃との時差”を一気に思い知らされる。

技術の進歩は便利さをもたらす一方で、
私たちの「記録」への向き合い方も変えてしまった。
昔は、容量が少ないぶん、写真1枚・音楽1曲に意味を込めた。
いまは、容量が無限に近いがゆえに、
データのひとつひとつを“記録した感覚”すら忘れてしまう。

ストレージの価格は、時間の圧縮率そのものだ。
1GBに込められた価値が下がるほど、私たちの時間の重みも軽くなる。
けれど同時に、それは技術が私たちの記憶を“外部化”した証でもある。
かつては心にしか残せなかった記憶が、今は安価なチップに保存できる。

500円のSDカードを手に取った瞬間、
私は単なる価格差ではなく、“時間の物差しの変化”を見た気がした。

 

🔮第5章:これからのストレージはどうなるのか ― 安価な海と高価な頭脳

ストレージの価格低下は、まだ終わっていない。
むしろ、これからの10年で“記録の概念”そのものが変わっていくだろう。

現在、HDDの主流は10〜16TB。
価格はおおよそ2〜4万円ほど。
それが数年後には1万円台へ、10年後には1万円を切るかもしれない。
もしそうなれば、私たちは“16TBをポケットに入れて持ち歩く”時代に生きることになる。

その背景にあるのが、記録技術の進歩だ。
磁気記録ではHAMR(熱補助磁気記録)やMAMR(マイクロ波補助磁気記録)が実用化されつつあり、
フラッシュメモリではQLC NAND
PLC NANDといった多値化が進む。
「1つのセルにより多くの情報を詰め込む」――
これはまるで、人間の脳がシナプスを増やして記憶を圧縮していくような進化だ。

ただし、すべてのストレージが安くなるわけではない。
“安価な海”と“高価な頭脳”に分かれていく。
つまり、

  • 大容量・低速で膨大なデータを保存する「倉庫型ストレージ(クラウドやHDD)」

  • 高速・高耐久でAI処理や映像編集に使われる「思考型ストレージ(SSDや次世代メモリ)」
    この二極化が進むだろう。

その先に待っているのは、
“ストレージ=意識の拡張”という世界観だ。
データはもはや保存するものではなく、
AIや人間が“再利用し続ける”ための素材になっていく。
それは、記憶の外部化から、記憶の共存へ――。

もしかすると、15年前の私が手に入れられなかった16GBの夢は、
未来の誰かが“16TBを当たり前に扱う時代”で叶えてくれるのかもしれない。

 

🎬第6章:500円のSDカードが教えてくれた未来

500円で買えるSDカードを見て、最初に感じたのは“安さ”だった。
でも、よく考えてみるとそれは技術がここまで積み重ねてきた時間の値段でもある。

あの頃、16GBが1万円した時代。
それを「高い」と感じながらも夢を見ていた少年の記憶。
そして今、その倍の容量が500円で買える時代。
その価格差に驚いたのは、単に金額の問題ではなく――
自分が“技術の進化と共に生きてきた”という実感だった。

技術は、私たちの感情や記憶を追い越していく。
過去の「高価だったもの」が、気づけば「日用品」になっている。
けれど、その安さの中には確かに時間の重みがある。

もしかしたら、10年後には1TBがワンコインになっているかもしれない。
そのとき、また私は同じように驚き、
そして少しだけ懐かしく笑うだろう。

――500円のSDカードは、
単なる安売り商品ではなく、
未来を先取りした小さなタイムマシンだったのかもしれない。